SHIZEN Yoga Blog

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チカ先生 SVADHYAYA

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

スワディヤーヤ

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「聖典を読むこと、学習すること」

私自身ヨガに出会ったのが20代で、あっと言う間に20年くらい経ち、そのなかで、スワディヤーヤとして理解してきたのはここ最近になってからだと思います。

若い頃は無我夢中で、ヨガの神髄を理解しないままにアサナの練習をしていました。しかし、練習をし、一般生活の中で「苦しみ」がやって来た時に、ヤマニヤマに習ったことが多くあります。

人は皆、年齢とともにおかれる立場や環境や身体には変化があり、その中でも女性は、社会の中のごく小さな社会(家庭)の調和を担うことが多いでしょう。縁の下の力持ちといったところですね!(笑)日常生活において、あまりにも多くの情報を受け情報過多になり、多くの役割を担いすぎていると、知らず知らずにしてマインドを硬くし、何か自分を縛りつけたりして、ネガティブ思考のスイッチを入れてしまい、心と身体がバラバラにしてしまいがちです。

そのような時は、ひとりになり、一定の静けさの中で、誰とも比べず、自己の五感を感じ、先人の引き継がれてきた聖なる書物を読み、学び唱えてゆく練習をしてゆくと次第に内側に在る光がどんどん増して、自己が高まってゆくでしょう。かつてヨガ修行してきたの先人達が、引き継ぎ唱えてきた唱和には表す事は出来ないけれど沢山のパワーがあるのではないでしょうか。「聖なる言葉は心の栄養になり魂を輝かせる。」私のスワディヤーヤの解釈の一つです。

そして、一心一体。この肉体が痛いと感じるのは心ですし、心を感じるのはこの肉体です。

肉体の組織(ダートゥ)は、人に大切に育てられ、自然と調和して生き、祈り、大地の恵みから正しく調理された純粋(サットヴァ)な食物から戴くことで、肉体と共に魂を輝かせ創造してゆくのだと思います。

生きる者の全ての智慧は引き継がれています。学び、教育は人間の根本に影響してると言います。現代のヨガには幾つもの学ぶ方法が存在しています。それぞれの感覚にあった学び方、行ない方を探していきましょう。どの世代でも、学び経験を増してゆく行為は大変興味深く、終わりが無く、永遠に続くでしょう。

私はたまたまヨガを教える機会をいただきました。しかし、これに驕れる事無く、学び続けている生徒であり、そして、未来の次世代へ正しく引き継げるよう、「スワディヤーヤ」の練習と実践を続けていきたいなと思っています。

イネコ先生 TAPAS

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

「タパス」

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タパスとは、熱心、厳しさ。

人生の最終目的に到達するためにいかなる状況下でも燃えるような努力をすること。

・身体にかかわることは: 禁欲(プラフマチャリア)、非暴力(アヒムサー)

・言葉に関することは: 言葉で他人を傷つけないようにし、神の偉大さをとき、結果にこだわらず真実を語り他人の悪口をいわない。

・ココロのタパスは: ココロが平静で安定しておりいつも自分をコントロールしている精神状態を育てること。

タパス

日本語でいうと修練。アサナの練習を身を焦がすように練習する。去年まではタパスをそう思っていましたが、去年から足を痛めてアサナの練習がまったくできなくなった時期が長くあり改めてタパスを考える機会を持ちました。すでにこのシリーズでサチコ先生がアヒムサーをそして牧野先生がプラフマチャリアを語って下さっていますがまさにこの両瓶が必要です。その両瓶があってこそタパスの教えが実戦できると思います。そしてカラダのタパスを突き詰めていけば言葉やココロのタパスもおのずと実践できるようになってくると思います。わたしにはまだ長い勉強の時間が必要です。

今日はここでいいたいのはみなさんの人生にもすでにたくさんのタパスの教えを学んでいるということです。子供時代を思い出して見ても特に学校生活では勉強や部活動、受験勉強。成人になっても社会、会社の中で金銭的なことやその中でのいろんな問題と向き合いながら生きていくことは子供も大人もまさにタパスの教えを特別なことではなく日々、学んでいますよね?時には眉をひそめることもあると思いますが目をそむけず、自分を嫌わず、前向きに挑戦していくこと。そしてアサナやプラナヤマや瞑想の練習はそのことを教えてくれる師でもあると思うのです。

レイコ先生 SANTOSHA

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。この壁画もレイコ先生が描かれたものなのです。

「サントーシャ」

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知足。満足すること。

今の社会、がんばり続けることが良いとされ、実績重視でお給料はそれに比例して変わるのが普通になってきています。

ゆとり教育で「勉強ばかりやらなくてもいいんだよ」「ナンバーワンよりオンリーワンだよ」と育てられた世代は「あれは何だったのだろう??」と思っているはず。1つの目標を達成したらすぐに、次はこれ、、その次は、、、と次から次に課題が現れ、どんなにがんばっても、いくら進んでもゴールは見えない。そうやって ずっと未来を切望し続けることが 成長に繋がる、、というのが社会的通念となってきているように思います。

これに慣れると 私生活でも1つ何かを手に入れると、それはすぐに当たり前の存在となり、条件反射のように次を欲するようになっていきます。

禅僧であり平和運動家、詩人でもあるティクナット・ハン氏の僧院では、一日に何度か鐘が鳴り、その度に何をしている人も一度動きを止めて、3回深呼吸をするそうです。

サントーシャを実行する為には まずは一度立ち止まって自分が今持っている物を確認することからはじめたら良いと思います。

今、自分にあるもの、家族、友人、仕事、健康、知恵、財産など、それが有ることを認識し直すと 自然に感謝の念がわいてきます。一回につき、そのどれか一つに焦点を絞って考えても良いと思います。

何か新しいものを手に入れたら、手に入れたそれ自体だけでなく、それを手に入れる経緯に関係した人を思い出してみます。何かが去っていったら、それが過去にあったことにより、今の自分があることを想います。感謝している自分を感じる時間を持ちます。

車窓からの美しい風景は、一瞬で過去の物になり忘れてしまいます。結婚したときあんなに仲が良かったパートナーも「この人がいなければ自由な時間がもっとあるのに」と思ったり、就職したとき「やったー」と飛び上がって喜んだ会社も「他の選択肢をもっと見ればよかった」と後悔したりする。

サントーシャは感謝の念。
自分にすでに有る物に感謝の気持ちを持つこと。
自分から去ってゆく物に追いすがらないこと。
感謝の気持ちを持つための時間を持つこと。

ヨガの練習でも 時には 新しいポーズに挑戦するかわりに、力を抜いて「しないこと」をしてみて下さい。自分の中にある空間を見つめてみて下さい。水に沈めたコップが水で満たされるように、そこに呼吸が入ってきて、自然に 強さや幸せが沸き上がってくるのが感じられると思います。

ヒサコ先生 SAUCHA

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

「サウチャ」

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今回から八支則のうちの2番目、ニヤマ(個人的に心がけるといいこと)に入ります。

ニヤマの一つめであるサウチャ(シャウチャ)は清浄にする、清浄に保つという意味です。これは環境、体、心、自分の外側と内側を清らかな状態に整え維持していくことです。

例えば、家を思い浮かべてみて下さい。キレイな家もずっとほっておけばそのうち汚れます。照明はホコリをかぶって暗くなり、窓もくもって光は遮られ、床はくすんで黒くなってきます。明るかった家もなんとなく暗なり、汚れていくほどに居心地は悪くなってきます。

そんな場所を本来のキレイな状態、心地良い状態にするには掃除をします。散らかったものを片付け、ゴミを捨て、ホコリを払い、掃いて磨いて掃除をすると、部屋はまた明るくなりスッキリとキレイになっていきます。これは汚れやゴミなどが払われる事、又はそのプロセスで感じられる事であり、何かを付けたしたり飾り付けたからではありません。この事はまた、環境ばかりでなく体や心にもあてはまります。

体が詰まる時や調子のよくない時、心に影がさす時、自分自身でいるのが何となく居心地悪く感じられる時、何かが私達の輝きや美しさ、心地良さを隠しています。それは物理的な汚れや老廃物、疲労などかも知れませんし、心に影をつくる考えかも知れませんが、まずはそれが何なのかをみてみましょう。そして適切な範囲で心身がクリアになるような事 ー アサナや瞑想などはもちろん、散歩、お風呂、空を見上げる、休むなど特別でない事でも ー をしてみましょう。

自然はとても素晴らしいお手本を私達に見せてくれています。蓮は昔から清らかさを表す植物として知られていますが、インドでは特に白い蓮の花はプンダリーカと呼ばれて、清らかさとサットヴァ(純質)の象徴とされています。蓮は泥水の中から育ちますが、その葉は水をはじき、水滴は玉になって葉を転がります。転がる水滴は汚れを絡め取りながら流れていくので蓮は泥水に汚されることなくいつもキレイな姿をしています。この素晴らしい自浄作用は自然で無理がなく、静かに行われています。自分で自分をキレイに保つ蓮のサウチャの実践は私達も是非、見習いたいところですね。

 

 

ドミニカ先生 APARIGRAHA

English follows Japanese.

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

「アパリグラハ」

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ヴェーダンタの観点から、アパリグラハを少し説明します。アパリグラハとは、不貪(むさぼらない)、非強欲(欲張らない)、無執着(執着しない)です。

自分はいったいどれだけのものを持っているでしょうか? 服、食べもの、本、電気製品、その他とにかく自分のものと言えるものなど? 不十分ですか、十分ですか、必要以上ですか? 多くの人は必要以上に持っています。持っているものの多くは、使いもせず必要も無いものです。ではなぜ持っているのでしょうか、なぜ捨ててしまわないのでしょうか? そして、なぜそれでもまだもっと欲しいと思うのでしょうか?

ものを所有すれば、だれもが望むような十分で幸せな人間になれる、と現代のメディアや消費者経済は伝えています。しかしなんらかの用途や利便性、または楽しみのためにものを持つことと、自分に欠けている何かを埋めるためや自分像をつくるためにものを持つことは違います。

私たちはたくさんの時間や労力を費やしながら、これさえあれば自分は十分になる、幸せになれる、安心できると思うものを手に入れてしがみつきます。しかしそれでもうそれ以上欲しがらない、十分な人間になったと思って感じる幸福感や満足感は、実は手に入れたものに投影されているだけなのです。したがって、自分はなにかが必要な不十分な人間だとまた思いはじめると、そのなにかをもっと手に入れようとさらに時間も労力も費やします。

ヨギの見地からすると、こういった時間や労力は、ヨガの実践や自己についての真の知識からはずれたものです。ヨガとは十分な人間に「なる」方法ではなく、もう既に自分が探し求める十分な存在であることを明らかにする道です。したがってアパリグラハは、「足る」、十分であるとはどういうことなのかをきちんと見極めることなのです。

必要なのか単に欲しいだけなのかを客観的に見極めましょう。未来への恐れや過去の記憶からの陰りに惑わされることなく、いまここにいる自分の真実を明瞭なマインドで見つめなくてはならないのです。アパリグラハの実践は、私たちの探し求める永久に十分な状態が、永久には存続しえない周囲の客体世界では得られないことを教えてくれます。永久に十分な状態とは、永久に存在する主体としての観察者、つまり意識として、既に自分の内がわにあるのです。

This is a short explanation of aparigraha from the perspective of vedanta. Aparigraha means non hoarding, non greed, non attachment.

How much do I posses? Clothes, food, books, electronics,  and things that belong to me? Less than enough, enough, or more than enough?  For many of us, more than enough. Much of what we have we do not use or need.  So why do we have it, or why don’t we get rid of it? And why do we still want to acquire more?

Modern media and our consumer economy portrays the ownership of  things as the answer to becoming the adequate and happy person we all desire to be.To have something for function, usefulness and enjoyment is different from having something for identity and self fulfillment.

We spend a lot of time and effort to acquire and hold on to things we think make us adequate, happy and secure.

The  happiness and contentment we have when seeing ourselves as non wanting and adequate, we project onto the things we acquired. So when we again see ourself as a wanting and inadequate person, we spend time and effort to acquire more things.

As a yogi this is time and effort diverted away from the practices of yoga and the true knowledge of self. Yoga is not a practice of becoming an adequate being, but rather one revealing that you already are the adequate being you seek to be. So aparigraha is looking at what is “enough” or adequate with discernment.

Do discern objectively between needs and wants we must look at the truth of ourselves in the present with a clear mind, unblemished by fear of the future, or clouded by memories of the past. The practice of aparigraha helps us to reveal the permanent state of adequacy we seek is not possible to acquire in the impermanent object world around us. It already exists as the permanent subject observer within- consciousness.

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ドミニカ先生ありがとうございます!次回は、ヒサコ先生による「SAUCHA」です!お楽しみに。

マキノ先生 BRAHMACHARYA

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

「ブラフマチャリヤ」

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ブラフマチャリヤそれは禁欲であると…。
ヨガ・バーシャによると生殖器の制御を徹底すれば大いなる活力を得るとあります。

ブラフマチャリヤのもう一つの意味は、ブラフマン(大宇宙)+アーチャーラ(道)

すなわちブラフマンの道です。私たちはブラフマンでしょうか、私たちは宇宙の一部でしょうか、それとも宇宙とは別なのでしょうか?そう、私たちは宇宙の一部であり、自然と共にあるのです。もう少し言えば、宇宙そのものであり、自然そのものなのです。

朝日に輝く蓮葉の水滴、まばゆくも澄んでいる青い空、木々のさわやかな緑、せせらぎの音、小鳥の囀り、そよ風の一撫で、暮れ行く夕日…自然は美しいです。それは水滴が何かをするからですか、夕日が美しいのは何かをするからですか? …自然は存在するだけで美しいです。人も自然なら存在するだけで美しいのです。本来ならば…。

しかし、多くの人々は満たされていないと思い、自分を取るに足りない存在だと思っています。どこか自分を嫌っています。自分を強制し抑圧し何かになろうとしています。もっと強くなろう、もっと静かになろう、もっと良くなろうと…。そこに葛藤や自己欺瞞を感じませんか、心が混乱していませんか? 無理矢理に我慢しているだけの禁欲、あるいは欲望が無いふりをしているだけかもしれません。それは快楽を求めてる心を何とかやり繰りしているだけです。例えば嫌なことが起きたときに、お酒やショッピングで誤魔化すようなものです。本質的には何も変わっていないことに気づきませんか、ガッカリしていませんか、疲れていませんか、それはエネルギーの消耗です。

ブラフマチャリヤそれはブラフマンであることを思い出しことです。その第一歩は自分を好きになること、粗末に扱わないことです。すると、心が活き活きして活力が満ちてきます。このとき、快楽ではなく、そこに愛があります。強制や抑圧ではなく、自由があります。混乱ではなく調和があります。人生そのものが祝福です。あなたの存在自体が稀有であり美しいのです。

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マキノ先生ありがとうございます!次回は、ドミニカ先生による「APARIGRAHA」です!お楽しみに。

ムツコ先生 ASTEYA

SHIZENヨガインストラクターによるYama、Niyamaの解説です。

「アステーヤ」

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「われわれはすべて盗人である。
知っていながら、あるいは知らないうちに、われわれは自然から盗んでいる。
一瞬一瞬、一息ごとに、われわれは自然からかすめ盗っている。
…誰の空気をわれわれは吸っているのか?
自然である。
だからといって息をするのをやめて死ねと言っているのではなく、
そのかわりに、一息一息を敬虔[けいけん]に受け取り、それを他者に奉仕するために使うのだ。
そうすれば我々は盗んでいるのではないことになる。
それを受け取っておきながら何も返さないならば、われわれは盗人である。」

— スワミ・サッチダーナンダ著 『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』

Asteya(アステーヤ) 人のものを盗まない。

それはものだけではなく、人の時間を盗まないこと(約束の時間に遅れるなど)皆のものを独り占めしないことなど・・ 更には盗む原因となる、人を羨む気持ちを持たないことも含まれます。

人を羨むのは、いつも自分にないものを人の中に見るからです。むやみに欲しがらず、今自分にあるものを見つめてみることが、大事。そうすると自分にあるもので、満足できることがたくさんあると思います。

厳密には、私たちは、常に自然界から”盗み”をしています。それは、自然界の空気をかすめとっているという事です。もちろん、息をするなという事ではなく、呼吸して生きているという事を敬虔に受け取り、受け取ったものは敬意を払いお返しするという事。

アステーヤの練習は、とにかく自分が既に持っているものに目を向けること、自分が既にいかに豊かであるかに気づくことから始まります。物質面だけではなく、心の中で感じる喜び、人を愛する心、人に愛されていること、美を愛でる感性、健康等々、全てが豊かさの一部です。この豊かさに気づくと、幸せになるための材料は、もう既に十分与えられていると実感できます。

ヨガのクラス中でも同じで、人が持っていて自分が持っていないもの:柔軟性、筋肉、八頭身のスタイル、安定性、等々を意識し始めたらきりがありませんが、自分に既に与えられているものに気づき、感謝することができたら、それだけそれぞれのポーズの意味も深まるのではないでしょうか?

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ムツコ先生ありがとうございます!次回は、マキノ先生による「BURAHMACHARYA」です!お楽しみに。